とんかつ

アダルトチルドレン克服日記

こども

小学生が今日から学校で、お昼くらいに親と一緒に?帰っていくのを見た。

小学生ってまだまだ子供だ。。。

頭のなかで、小学生の頃だったけど、本当にそんなふうに思い込んでたんのかな…?ってちょっと自分を疑っていたんだけど、小学生って本当にまだ子供。

六年生でも子供だし、中学生でも子供だ。

その年に親に怒られて失望されたり家事をしたり、ならいごとでいっぱいいっぱいだったり…学校では人間関係で悩んでいたことだって普通にあったし

って考えたら思ってたより子供のころつらかったのかも・・・

両親にびくびくしてたんだけど、でもつい最近まで家族関係に問題はなかった。って思ってた。本当に全く。

きづかないって怖い。

 

そういえば習い事、自分が思っていたのにさらにプラス二つやっていたことを思い出した。すっかり忘れてた。。。

しかも小学校の時は部活も三つやってた。。。笑

高校のとき、私だけ洗濯が別だった。別だったっていうか、自分でやらされてた。

将来のこと考えてとかさ、色々あるんだと思うけど…普通になんか、ちょっとひどいな、今思うと…

 

「子供」ではなくて、一人の人間として扱われていたんだなと今では思う。

だから感謝してよってよく言われたし、あんたのためにどんだけやってると思ってるの?とか、なんで何もやってないの?とか

お小遣いほしいって言ったら、何に使いたいのか書いて、納得させてみろ、とか。

いや普通にちょうだいよ、子供なのに。

会社の部下じゃないんだから…

怒られて泣いてたら なんで泣いてるの?自分が情けなくて泣いてるの?って

普通に親に怒られたら泣くよね子どもだったら・・・

もっとたくさん優しくしてほしかったな

 

なんか気づいちゃった

優しくされたかったんだなって

甘えたいんだなって

あまりにも自分と無縁すぎて、そんな欲求があることすら全く気付いてなかった。

優しくされたい甘えたい好きになってほしい

でも実際差し伸べられるとこわくて拒んでしまう

いつ抜けられるんだろう

無気力

無気力……

なんだか疲れた。特になにかあったわけじゃないけど。。。

 

 

私は会社のサークルに二つ所属していて、一つは音楽で一つは英語。

音楽は、はじめたばかり。レッスンに通おうかなとおもってる。

英語で、全然しゃべれない。

で、今日おわってから、あ~~~…スカイプ英会話やろ、って思った。

思って気づいたんだけど、別にやりたいわけじゃなくて。

出来ないから、やらなきゃって。

勉強の英語はできるのに、しゃべれないから、やらなきゃって。

英語高校から全然勉強してないよ~ききとれないよ~って言ってる人がいっぱい発言してて、ほぼ聞き取れてて英語もたくさん勉強してきた自分が喋れないから、英会話やろって。

で、英会話やったら話すのに慣れて、そしたらサークルでも喋れるなって。

思って気づいたんだよ

普通ちがくない?もっと喋りたい!からスカイプ英会話で練習!だったらわかる。

でも違う…できない自分が許せなくて、みんなに内緒で練習して、できるようになったらみんなの前で喋れるかもって。

振り返ればそんなんばっかだったな。

出来ない!出来なきゃ!って。

出来ないことが怖いのかとおもっていたけど、違う。

できない自分じゃだめなんだって思ってるんだ。

でも、じゃあ普通の人ってどうするんだろう。逃げ出したい。自分から

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離人感

気づいたらあった感覚。

なんだか、自分に起きていることも、あまり実感がもてない。

頭で理解していても、感情がついてこなくて、なんとなく膜がある感覚。

自分がいるというより、自分が操縦しているロボットがいるという感覚。

 

これ、離人感ていうんだって~~~~~~~!!!!!!!!!!!

 

衝撃。

名前があったんだ。

ていうか私だけじゃなかったんだ。

ていうか私って本当にACなんだ。

 

毎日発見があって、すごい。

気付けてよかったな、本当に。

はやく自分になりたい。

 

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感謝してよね

最近 自分を嫌うな という本をよみました。

 

自分を嫌うな (知的生きかた文庫)

自分を嫌うな (知的生きかた文庫)

 

 

kindle unlimitedがすごく便利で、ずっと漫画ばかり読んでいたんだけど、結構メンタル系の本があってここ数日読み漁っている。

 

で、この本。

めちゃくちゃわかる。

なんか、自分に対して書かれているみたい。言葉で説明してもらえると、自分が肯定されている気持ちになってうれしい。

この本を読んで気づいたんだけど、うちの親は私に敵意を向けていた。

敵意とかいうのつらいけど、でもそう。すごい睨まれた。

そして、恩着せがましかった。

恩着せがましいという言葉を使うのは、正直まだちょっと抵抗がある。

だって、本当に私は感謝していたから。

どこかに送ってもらうとき、頼み方が「すみませんが、○○まで送ってくれませんか」だった。

なにかしてもらうと、よく、「感謝してよね」と言われた。

それを、当然だと思っていた。

だって母は働いていて、自分は休む暇もなくて疲れていて、私はいつも怒られていて、母に面倒をみてもらわないと生きていけないから。

でもなんかこの本読んでたら、親は子供の面倒をみて当たり前で、そこに感謝はいらない、的な、そんなことが書いてあった。

 

恩着せがましい親に育てられたこどもは、決定的に負い目を感じて歪んでしまう。恩着せがましさによって、その子は自分自身が生きること、そのことに負い目を感じるようになってしまう。

 

 

うん。。。

 

人に堂々と接することができない。他人に何か頼むことができない。何かを頼むということは、負い目の重荷を増やすことでしかないからである。

身近な人にさえ、「これをしてほしい」ということがいえない。無力な幼児の頃から感謝を要求されて育ち、自分の存在そのものに負い目を感じているからである。

 

 

普通の子って、違うんだ。という驚き。

 

恩着せがましい親に育てられ、いつも親の失望の表情や迷惑顔に苦しめられてきた人間が、どうしても知らねばならないことがある。

それは、愛情の浅い深いは、愛する対象が原因ではないということである。 

 

しみる。

失望、されてきたなあ。

がっかり!って結構言われてきた。

ええ~~!(非難)とかもよく言われた。

私がごはんの準備とか何もしてないときとか。

母が働いていて、ごはんの準備は私がやっていたけれど、やっぱりやりたくないときだってあったし、負担だった。

でも、今でもそれは結構後悔していて、もっといろいろ手伝えばよかったな、母の味方になればよかった、って思っている。

でも、もしかしてそれって、違うのかな。

もっと甘えててよかったのかな。私は自分のことだけ考えていればよかったのかな。

そこは、まだわからない。

どうしても母が好きだから、幸せになってほしいから、自分より母を優先的に考えてしまう。とにかく私は、母が好きなのだ。。。

 

と、考えれば考えるほど、そんなに好きなのに、否定ばかりされていた幼いころの私はさぞつらかっただろうな、と…

 

それからもうひとつ。

私は、両親がいうことが絶対だった。

絶対というか、両親の意見が絶対的に正しかった。それは強制された考え方ではなくて、私の考え方だ。

たとえば、金田一とコナンどっちが好き?と母にきいたら母はコナンが好きだと答えた。

私は金田一のほうが好きだったけど、それからコナンのほうが好きになった。

 

ゲームを買ってもらうとき、ほしいゲームがあった。

けれど、父がこっちのほうがおもしろそう、といった。

私が選んだのは、父が選んだゲームだった。

 

剣道がやりたかった。

父が、空手をすすめた。空手をやった。

 

あまり覚えてないけど、こんな感じ。

気に入られたくてそうしていたのかな・・・多分それは違う。

私のなかで両親の意見が一番なのだろう。

今だってそうかもしれない。

見たい映画があっても、母が違うのを見たいといえばそっちを優先しちゃう。

これは、どういうことなんだろうなあ。まだわからない。

 

 

ワーク

子どもを生きればおとなになれる

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の、ワークをやった。ので記録。

 

 

 

根本的に変えたい部分、昔から植えつけられてきた意識としては

人に好かれると思うことが出来ない。

だから、相手がわからないと自分を出せない。

相手が自分を上に見ていると思うと、自分を出せる。

なぜなら、相手が自分を嫌いになったとしても、辛くないから。

自己肯定ができていないから、自分より下だと思う相手も肯定できないから。

 

自分が今後自分に植えつけていくべき一番重要なことは、

自分は愛されるべき存在である

自分の現在は、自分の努力が作り上げてきたもの ということ。

自己肯定ができれば、相手を見下すことはなくなるだろう。

 

子供の頃手に入れることが出来なかったもの

・助けをもとめる

・人に甘える

・愛されていると感じる

・限界を設ける

・感情、価値、ニーズを確認する

・感情を表現する

 

 

人として好かれているという自信がなくて、自分に価値があると思えない。

だから、相手の顔色をみてしまう。

で、相手に好かれても苦しいだけ。本当の自分ではないからだ。

でも、このままだと「人間関係が始まらない」し、「結局悲しいだけ」である。

だから、しっかりと自分のまま相手と接することが必要であり、そのためには

自分は人から好かれる存在である ということを理解する必要がある。

 

 

カウンセリングで最初に、とにかく「今の自分になってしまったのは、仕方がなかった」と思うことが大切。と言われた。

そうかもしれないけど、自分も悪いし…などと思っていたが、実際書き出してみると、

そりゃ…そうなっちゃうよな…と普通に思った。

親に甘えれてないし、愛されていると思えていないし、優先されていないから。

今の自分になってしまったのは、仕方がない。

そりゃ、恋愛も普通にできないわけだよね…。

 

で、恋愛してる人って、すごいなって思った。

だって、自分が大好きな人に、振られるってすごくつらいだろう。

私はふられたことがないからわからないけど、自分を否定された気持ちになるだろう・・・と思って気が付いたんだけど、

私は子供の頃に、自分の両親から否定されてきたのだ。

睨まれて、怒られて、たたかれて、無視されたりした。

恋愛的にふられるより、ずっとずっときつくない?

しかも、今ではなく子供の頃…親がいないと生きていけない頃に、それをされているのは…つらいよなあ。

正直、本当にそうだったかな?そんなこと思っていたかな?とおもうことはいろいろある。

でもそう考えると、自分が忘れてしまっているだけで、自分で思い込んでしまっていること、たくさんあるんだろうなあ……

しかも私は、親がとても好きで、今でもやっぱり親はなんだか特別で、とにかく幸せになってほしいと思っている。

自分より、親のほうが幸せになってほしいとすら思ってしまう。

そんな相手に、自分を否定された子供だったら、歪んでしまっても何もおかしくない。

社会人になった今、親が大変だったのはわかっている。

わかったうえで、最近ひどいな、と怒りを感じてきた。

一歩前進、かもしれない。

両親

ふと思った。

私の両親って、アダルトチルドレンじゃないか、と。

 

母は大家族の長女で、賢い。聞き分けが良くて、下の子たちの面倒を見ていたらしい。

父は厳格な家庭の長男で、きびしくしつけられたらしい。

 

絶対二人ともアダルトチルドレンじゃん~~~~~~~~~

多分二人とも、親に甘えるということをあまり知らない。

そして私も、あまり知らない。

で、この甘えるというのだけど、お金とか、そういうことじゃない。

その点に関しては、特に問題なくて、私もそういう甘え方ならできる。

そうじゃなくて、人間として、というか、愛情面での甘え方というか。

何か悲しいことがあったとき、親になぐさめてもらうとか。

抱きしめてもらうとか。

なんかそういう、人間として生きる上での甘え方を、知らないんだろうなあ。。。

 

そういえば私、大学生になってから、人に甘えていいんだ!って結構驚いた気がする。

どこか連れてってくれるとか、買ってくれるとか?そんなんだけど。

で、ちょくちょく甘えると、相手が恋愛的な好意を持ってくる。

そうすると、怖くてきもちわるくて、おしまい。

その怖くてきもちわるいが、自分の自己肯定感がないから、なのか

本当に男性が無理なのか、どちらかはまだわからない。

まあでも多分、どっちもなのかも。

 

 

あと、人と話しているとき、相手が喜ぶ受け答えをしようとしている自分に気が付いた。

気が付いたというか、めちゃめちゃそうなんだけど、むしろなぜ気が付かなかったのか、みたいな。

元彼に対して、いやなこともいやといえず、にこにこして、こういったら喜ぶだろうな、ってすごいしてたな。

で、私って相手を喜ばせるために存在してるのかな?って自分で思ってた。

相手の顔色、結構窺う。

私というものが、全然ない。

あるようで、ない。

そもそも自分が自分だと思っているもの、本当の自分なのかな。

自分はこうだ、と思い込んでいるだけなんじゃないかな。

思い込み、結構あると思う。たまに、疑問だった。

アダルトチルドレンだと気付けてよかった。

楽しいこと

楽しいという感情が、あまりわからない。

これは昔からそうだったわけではなく、なんか最近、気づいたらそうだった。

さいきん?大学くらいからかな…

何か楽しいことをしていても、いつ楽しいのか、どう楽しいのか、というのがわからない。他人がどのタイミングで楽しいと思うのか、そもそも他人の楽しいのラインはどこなのかわからない。

頭で考えすぎてわけわかんなくなってるのかなと思ったけど、普通に楽しいと感じてる人はわけわかんなくならないと思うから、やっぱり感情が鈍いんだね。

自覚はあったけど、なんかいろいろ実感が薄いな、違う世界にいるみたいだな、て思ってたけど、ACの特徴でそう書かれていたときは本当に驚愕だった。

でも、楽しいと思ってたこと、ある。

新卒半年でやめた前の会社、今思い出すと、楽しかったなって思う。

卒論、すごくしんどかったけど、楽しかったな、って思う。

実習、しんどかったけど、楽しかったな、って思った。

全部思い出して、なんだけど、なんか楽しいの感情が、その瞬間ではなくその出来事にある。しかも、全部しんどい。

しんどくないと頑張ったと自分で思えないみたい。

むしろしんどいと、結果が出ていなくても頑張ったと思う。

で、頑張ったことは、楽しかったな、と思う。

思うというか、記憶が改ざんされているというか、まあ多分、つらい=頑張ってる=楽しい になってしまっている。

だからいつも、辛い方を選んでいるのかもしれない。

 

なんでそうなったんだろう

どう考えても、小学生の頃の自分は頑張っていた。

友達と遊ばず、習い事ばかり。

でも、なんでも普通にできてきたから、頑張っていたという風に思えていない。

すごい歪んでる…