とんかつ

アダルトチルドレン克服日記

感謝してよね

最近 自分を嫌うな という本をよみました。

 

自分を嫌うな (知的生きかた文庫)

自分を嫌うな (知的生きかた文庫)

 

 

kindle unlimitedがすごく便利で、ずっと漫画ばかり読んでいたんだけど、結構メンタル系の本があってここ数日読み漁っている。

 

で、この本。

めちゃくちゃわかる。

なんか、自分に対して書かれているみたい。言葉で説明してもらえると、自分が肯定されている気持ちになってうれしい。

この本を読んで気づいたんだけど、うちの親は私に敵意を向けていた。

敵意とかいうのつらいけど、でもそう。すごい睨まれた。

そして、恩着せがましかった。

恩着せがましいという言葉を使うのは、正直まだちょっと抵抗がある。

だって、本当に私は感謝していたから。

どこかに送ってもらうとき、頼み方が「すみませんが、○○まで送ってくれませんか」だった。

なにかしてもらうと、よく、「感謝してよね」と言われた。

それを、当然だと思っていた。

だって母は働いていて、自分は休む暇もなくて疲れていて、私はいつも怒られていて、母に面倒をみてもらわないと生きていけないから。

でもなんかこの本読んでたら、親は子供の面倒をみて当たり前で、そこに感謝はいらない、的な、そんなことが書いてあった。

 

恩着せがましい親に育てられたこどもは、決定的に負い目を感じて歪んでしまう。恩着せがましさによって、その子は自分自身が生きること、そのことに負い目を感じるようになってしまう。

 

 

うん。。。

 

人に堂々と接することができない。他人に何か頼むことができない。何かを頼むということは、負い目の重荷を増やすことでしかないからである。

身近な人にさえ、「これをしてほしい」ということがいえない。無力な幼児の頃から感謝を要求されて育ち、自分の存在そのものに負い目を感じているからである。

 

 

普通の子って、違うんだ。という驚き。

 

恩着せがましい親に育てられ、いつも親の失望の表情や迷惑顔に苦しめられてきた人間が、どうしても知らねばならないことがある。

それは、愛情の浅い深いは、愛する対象が原因ではないということである。 

 

しみる。

失望、されてきたなあ。

がっかり!って結構言われてきた。

ええ~~!(非難)とかもよく言われた。

私がごはんの準備とか何もしてないときとか。

母が働いていて、ごはんの準備は私がやっていたけれど、やっぱりやりたくないときだってあったし、負担だった。

でも、今でもそれは結構後悔していて、もっといろいろ手伝えばよかったな、母の味方になればよかった、って思っている。

でも、もしかしてそれって、違うのかな。

もっと甘えててよかったのかな。私は自分のことだけ考えていればよかったのかな。

そこは、まだわからない。

どうしても母が好きだから、幸せになってほしいから、自分より母を優先的に考えてしまう。とにかく私は、母が好きなのだ。。。

 

と、考えれば考えるほど、そんなに好きなのに、否定ばかりされていた幼いころの私はさぞつらかっただろうな、と…

 

それからもうひとつ。

私は、両親がいうことが絶対だった。

絶対というか、両親の意見が絶対的に正しかった。それは強制された考え方ではなくて、私の考え方だ。

たとえば、金田一とコナンどっちが好き?と母にきいたら母はコナンが好きだと答えた。

私は金田一のほうが好きだったけど、それからコナンのほうが好きになった。

 

ゲームを買ってもらうとき、ほしいゲームがあった。

けれど、父がこっちのほうがおもしろそう、といった。

私が選んだのは、父が選んだゲームだった。

 

剣道がやりたかった。

父が、空手をすすめた。空手をやった。

 

あまり覚えてないけど、こんな感じ。

気に入られたくてそうしていたのかな・・・多分それは違う。

私のなかで両親の意見が一番なのだろう。

今だってそうかもしれない。

見たい映画があっても、母が違うのを見たいといえばそっちを優先しちゃう。

これは、どういうことなんだろうなあ。まだわからない。